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豪快で奔放自在な書風から、近代書の先駆と評される三輪田米山。神職仲間や、親交のあった氏子の依頼で、愛媛県中予一帯の神社や、旧家の石碑・祭幟・襖・扇・掛軸等に数多く揮毫しており、ここ風早の地にも米山の足跡は今なお、息づいている。郷土色あふれる当地方の五社を巡ってみよう。Ⅰ- 5総合マップこの神社は南北朝時代、新田義貞公の弟・脇屋義助公がこの地で病疫からの平癒を祈願したことに始まる。ありとあらゆる苦難困難に立ち向かい、信義をつらぬく勇気を授かる神様である。松山市付近では新田社は約三十社あるといわれる。三輪田米山が新田神社を訪れたのは、最晩年の明治三十六年八十三歳のとき。逗留したS家では、毎日毎日酒を飲ませたのに中々書いてくれなくて往生した。│という逸話が残っている。しかし米山という人は、単なる「大酒飲みの能書家」ではない。敬神の念篤く、和漢の古典に精通していたのが米山。書の稽古怠らず、和歌をたしなみ、当時最新の知識にも興味をもち続けて、見識あふれる日記をつけていた。三輪田米山《みわだべいざん》本名は常貞。一八二一(文政四)年、伊予松山の日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男として生まれ、一九〇八(明治四一)年に没した、伊予の神主である。米山は、明治維新をはさんだ激動の時代に生きながら、王義之(おうぎし)をはじめとする書の古典に深く学び、独自の書風を形成した。平成十九年二月、「米山顕彰会」が結成され、米山作品の鑑賞・普及また、作品の保存等に力を注いでいる。松山市立岩米之野(旧村社)②神号額「新田神社米山書」①神名石表:「新田神社」裏:明治三十六年十二月米山書【位置】立岩小学校から高縄山登山道に向かって約1㎞で右手に老人ホーム高縄荘が見える。約500m先の高縄山入口看板を右折して立岩ダムの方へ約1.5㎞で左手に鳥居が見える。124×90×56(㎝)明治36年12月83歳の作