kazahaya2

kazahaya2 page 86/98

電子ブックを開く

このページは kazahaya2 の電子ブックに掲載されている86ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
kazahaya2

Ⅰ- 4総合マップこの神社は、登記上は「籠御前社」。御祭神は「河野霊」とされている。この山の上にあった十九地山城の城主白石若狭守(河野好峰の孫)の霊を、元和年中に末裔白石四郎左衛門が、鎮守として奉祀した。注連石に彫られた「大順成徳」の文字が米山の書。特徴としては「大」と「成」のように空間の広がりにおもしろ味がある。媚びず驕らず信念に生きた米山の、これが最晩年の揮毫である。付近の庄屋宅に一ヶ月近くも長逗留して書いたものとされる。この文字は徳川神社(津吉)・松山神社(祝谷東町)・河内神社・高正神社(東明神)にも遺されている。出典『礼記』『易経』。松山市立岩米之野(旧村社)松山市八反地(延喜式内社・旧県社)⑦注連石(右)表:「大順」裏:キクマ石工田中勇太郎表:「成徳」裏:明治三十六年十二月米山書⑧注連石(左)【位置】立岩小学校から高縄山登山道に向かって約1㎞で右手に老人ホーム高縄荘が見える。約500m先の高縄山入口看板を右折して立岩ダムの方へ約500mで右手に公民館が見える。左側の道を徒歩で約100mのところに神社がある。【位置】松山市から196号線を北に約18㎞で左手に聖カタリナ大学が見える。手前に國津比古命神社入り口の看板が見えるので右折して約1.2㎞直進し正岡小学校を過ぎると鳥居が見える。向かい合う櫛玉比賣命神社は共に式内社で、社格は旧郷社である。平成27年12月18日風早米山紀行指定第一号看板が設置された。平成29年度迄に残り4ヶ所にも設置予定。265×27.5×23(㎝)明治36年12月83歳の作この神社には幕末から明治にかけて活躍した伊予の能書家二人の揮毫石碑がある。松山市久米の日尾八幡神社(「旧県社」)の神官であった三輪田米山(一八二一?一九〇八)の記念碑は手水舎手前にあり、表面:式内名神両社千年祭之碑裏面:明治三十一年八月と書かれ、明治三一年(一八九八)米山七十八歳、晩年の作である。国家編纂の古社・名社百科事典とも呼ぶべき『延喜式神名帳』は、平安時代に上撰された『延喜式』の巻九・十のことで、当時から「官社」として朝野の尊崇すこぶる厚かった全国の名だたる神社を選抜・集大成したものである(「延喜の制」)。ちなみに「明治の制」では、由緒深く格式の高い古社であることから、当局より当初「国幣中社」の打診がなされたが、結局「県社」に列せられている。この由緒ある『延喜式』の台帳に御夫妻神(國津比古命神社・櫛玉比賣命神社)揃って登載しきないみょうじんりょうしゃせんねんさいのひえんぎしきじんみょうちょうきごう⑧⑦★新調された案内看板(國津社頭)★新調された案内看板(國津社頭)