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獅子舞保存会

浅海獅子舞保存会

 浅海獅子舞は、地域住民の無病息災、五穀豊穣等の願いを込めて、「葛城神社」「明見神社」に奉納される伝統芸能として受け継がれています。舞の演目は、神社に奉納される「三番叟」、「山さがし」、「ぬたば」、「稲くい」の4種類があり、力強さや優雅さに加えて独特のユーモアや素朴さに富んでいます。
 また、獅子二体が同時に舞う「瑞翔舞」や北条のシンボルである鹿島をテーマにした「鹿鳴舞」といった新しい演目も制作して取り組んでいます。

三番叟
瑞翔舞
鹿鳴舞
親爺
きんとき
庄区 獅子保存会

國津比古命神社の宮入りに奉納される庄区に伝わる獅子舞です。八反地区に伝わる獅子舞と対をなす獅子舞で、八反地が「雄獅子」、庄が「雌獅子」。八反地が「お供獅子」、庄が「迎え獅子」と伝えられています。笛が特徴的で、100年以上受け継がれている獅子舞です。当地の獅子舞は、明治20年代に旧北条市小川地区から習ったことが始まりとされています。一時期は少子高齢化や世代交代等の諸事情により消滅の危機に瀕していましたが、有志の方々による後継者づくりで徐々に参加者が増加し、その後も会員数が維持され現在に至っています。年間を通じ、地域のお祭りやイベントで獅子舞が披露されるようになり、また秋祭り前には師匠役も含め30名を超える会員が集まり練習を行うなど、児童から高齢者まで幅広い年代が集うことで、地域のコミュニティーの活性化にもつながっています。

八反地獅子保存会

【結成】昭和38年 【会員数】50名
【演目】太夫、三番叟、山探し、ぬたば、稲まき、親爺とキツネ
 その昔、國津比古命神社御神体が大洪水で流出した際、猪木地区の人々によって見つけ出され大浜に上げられたという伝説があります。御神体は「猪木大魔」・「御供獅子」を従えて國津宮に帰ったとされ、その御供獅子が八反地の獅子舞として伝承されていると言われています。当地区の最も古い獅子頭は神社に奉納されており、その由緒のほどが伺えます。また、「太夫」の舞で使われる小面はかなり古く値打ちあるものとされ、舞としての無形の文化価値同様、道具類にも有形の価値があります。澄みきった秋空にひびく笛や太鼓の音に合わせ、舞くるう獅子の姿は、大人達の郷愁を呼び、子供達の夢をはぐくみます。愛媛県下には、数多くの獅子舞があります。

保存会集合
三番叟
三番叟
親爺面
お太夫面
中西外小山 獅子舞保存会

【結成】昭和40年頃 【会員数】約20名
【演目】三番叟、山探し、ぬたば、稲まき、親爺と猿、狩人
 当保存会は、子供からお年寄りまでが伝統芸能「獅子舞」を通じて地域の人との交流を深めると共に、我々の遠い祖先達が伝え守ってきた芸能に対する深い思いに心を寄せ継承してきました。獅子舞は全国各地に最も普及した農村芸能であり、厄除け効果を持つと信じられた信仰的産物です。
 演目は農耕生活に関連したものが多く、悪魔払い的な演技もあれば、猪の野荒らしを舞踊化した演目もあり、それを仕止めるのが狩人です。「親爺と猿」は猿が出て耕作の邪魔をするユーモラスな演技です。これらは、農村芸能として生活心情を舞踊化したものであり貴重な存在といえます。

善応寺獅子舞保存会

 善応寺獅子舞保存会は高縄神社のお供獅子として、善応寺区住民が代々継承しています。その由来は、約180年前の江戸時代天保10(1839)年、どんなに農作業が遅くなっても、旧松山市馬木地区へ夜間習い通ったのが始まりです。本祭での高縄神社や柳原の三穂神社など、地区内の各神社で奉納の舞を通して、無病息災、五穀豊穣の願掛けを行っています。

粟井河原獅子舞保存会

 粟井河原獅子舞保存会の起源は、約150年前と言われ、戦後、若者の流出で一時中断し、昭和47年頃に復活の声が高まり、昭和50年に「河原獅子舞保存会」が誕生しました。現在は、「粟井河原獅子舞保存会」となり活動しています。
 獅子舞は「雌獅子」で、獅子頭を振る細やかな所作が多いことが特徴で、「三番叟」「芋ほり」「ぬたば」「山さがし」「稲場」という演目があり、獅子のほかにも、お爺(おやじ)、お婆(おかめ)、狩人、狐、猿が登場し、一連の物語となっています。

小川獅子舞保存会

 小川獅子舞保存会に伝わる獅子舞には確かな書物や文献は残っていませんが、先人の記憶をさかのぼること200年以上。ゆっくりとした力強い舞が特徴の「雄獅子」です。
 演目としては、「三番叟」を始め、「春の笹喰い」「夏の沼田馬」「秋の稲葉」「冬の山探し」。それに加え「親爺舞」もあり、「種蒔き」「狐釣り」「稲葉の親爺」。また、子供達が主となるキツネや孫、狩人など幅広い年代が参加できる会です。
 今では秋の大祭を中心に、各種イベントに参加しています。

西谷獅子舞保存会

 獅子舞が西谷地区に伝わったのは、明治中期以前です。西谷明見神社の秋祭りに奉納されていました。幾度か途絶えかけたこともありましたが、大人は各自全ての演目を覚え、太鼓も各自が叩けるように練習をし、おやじや狩人は子供中心で、一生懸命練習しています。一人一人に個性があるように、獅子や太鼓にも個性があらわれています。