風早まちづくりネットワーク 風早まちづくりネットワーク

だんじりについて(正岡地区)

A. 八反地区 英風(ハッタンジク エイフウ)

 八反地区は、大氏神(國津比古命神社・櫛玉比賣命神社)の地元地区として、強い愛着と自負心もって伝統ある火事祭(ひのことまつり)に取り組んでいます。
 八反地区では、大屋台と子供屋台を保有し、祭り大好きの青壮年グループ「英風会」が祭りの中心になっています。この英風会は、祭りだけでなく蛍の育成や門前堀および立岩川の支流・院内川の清掃・植栽などの環境保全にも取り組んでいて、地区になくてはならない存在です。
 大屋台は昭和61年に、子供屋台は平成23年に新調し、英風会とともに小学校3年生から中学校3年生までの親子たちが精魂込めて維持管理・整備、飾付に努めています。また、平成27年には英風屋台蔵を新築、祭り期間中、かき棒や笠木などのフル装備で収容可能な施設となっています。
 英風大屋台は、新調後も英風会によって様々な装備・装飾を加え、風格ある豪華な屋台となっています。また、子供屋台は、白木作りのシンプルでバランスの取れた優雅な屋台です。
 祭りでは、初日の土曜日の早朝から屋台に飾る笹花を作り、午後から大屋台と子供屋台で区内廻りを行います。区内各所を廻り、大氏神で安全祈願をして参道練を行うという段取りです。夕方から担夫の懇親の場を持ち、祭り気分を高めて正岡地区の4地区8台の屋台とともに参道練を行います。そして、参道練の途中、戌の刻(午後8時)から八反地の氏子によって、神事「宵の明星」が始まります。これは、櫛玉社の神輿がおしのびで旧八反地村庄屋の門田家まで渡御するものです。渡御中は、屋台の参道練は中断し静かに見守ります。宵の明星が櫛玉社に帰社した後、参道練を再開し午後9時過ぎまで賑やかに宵宮を彩っています。
 翌日曜日の本宮では、早朝2時頃から宮出しの6時前まで正岡地区・難波地区・北条地区の笹花を飾付けた豪華・絢爛な屋台が参集し、神迎え行事として盛大な参道練を繰り広げます。宮出しの後は、大氏神境内で八反地獅子保存会によるお供獅子の奉納が行われます。
 我が八反地区は、大氏神の地元として全区民が自分たちの祭りだという自負をもって、歴史と伝統、そして誇りある祭りをさらに発展させるべく取り組んでいます。

町区名八反地
祭礼称号英風
祭礼奉仕青壮年団体名英風会
屋台新調年昭和61年(1986年)
棟梁名門田須々武
大提灯文字名英風
所属・奉仕神社厳島神社
國津比古命神社
櫛玉比賣命神社
屋台正面
屋台正面
屋台斜面
小屋台正面
小屋台側面
小屋台斜面
提灯(表)
提灯(裏)
法被(表)
法被(裏)
屋台蔵(H27完成)
B. 宮ノ上区 寶風(ミヤノカミク ホウフウ)

 我々宮ノ上は、高田・正岡神田及び院内の三つの区から成っており、高縄山の麓の中山間地域に位置し、その人口は約120所帯で所謂生物多様性地域でもあります。特に正岡地区の中では比較的人口が少ない等のためかコミュニケーションが発達し、そのまとまりの良さから各種のイベントにおいて優れた実績を残しています。
 秋祭りになると、大小だんじりや神輿を勇壮・盛大かつ華麗に運行し、なかでも大氏神の宮出し・宮入りの際の小どもだんじりの「お宮越え」は唯一宮ノ上の最大行事としてつめかけた観客を魅了し、祭りの醍醐味を満喫していただいています。また、子どもたちには「よき伝統と文化の継承」を目指して地域が一体となってきめこまかな熱い指導を行っています。
 次に、「寶風」についてですが、前述したとおり宮ノ上は高縄山の麓にあり、「ブナ林」として知る人ぞ知る豊かな自然林から、ミネラルなどを含んだ寶の風が絶えず吹き注いでおり、野菜をはじめあらゆる農作物の作柄は言うに及ばず、その味は筆舌につくしがたいものがあります。また、「寶風」は夏ともなれば天然・自然クーラーとして、エアコンは不要で、快適な生活をもたらせてくれます。
 大屋台の特徴は、均整のとれた骨組みと、比類なききらびやかな調金にあります。(笠木には高縄山を模した調金がある。)また、新居浜の太鼓台を連想させる豪華な金房等、その豪装で華麗な姿は衆目の一致するところです。
 宮ノ上(氏子)の特徴は、穏やかな中にも芯があり、何事にたいしても積極的で活発です。また、他の地区・関係団体との連携も大切にしており、「国津会」を結成するなど、祭りだけでなく、様々なイベントにも協力を惜しまず、友好団体との絆を深めています。

町区名宮ノ上
祭礼称号寶風
祭礼奉仕青壮年団体名風の会
屋台新調年平成25年(2013年)
棟梁名西原司
大提灯文字名寶風
所属・奉仕神社國津比古命神社
櫛玉比賣命神社
屋台蔵(H27完成)
屋台側面
提灯(表)
提灯(裏)
法被(表)
法被(裏)
小屋台正面
小屋台側面
C. 中西外区 松尾(ナカニシソトク マツオ)

 当屋台は平成21年(2009年)に完成しました。旧北条市一の規模と装飾を誇ります。
 まず、屋台本体は総ヒノキ作りで、原木を2本、伊勢神宮お膝元の材木市場にまで出向いて買い付けを行いました。地元菅建設の棟梁いわく、「木目も色も同じところで一括買い付けすることにより一体感のある風合いの屋台が製作できるとして、まず御用材にこだわった」とのことです。かき棒の長さは18メートルに達し、その直径は太いところで26センチメートルあります。これだけの大木の杉は松山市高縄山系には求められず、はるか久万高原町の久万山から昨年末に切り出してきたものです。
 本体の規格は、正面横幅 2.5メートル(スラシ入れると2.624メートル)、側面縦幅2.85メートル(受け台車を入れると3.705メートル)、地面から笠木の天までが高さ4.43メートルあります。従来の屋台は正方形に近かったのですが、松尾の屋台は長方形になっています。ざっと3畳部屋の大きさあり、深紅の絨毯を引き詰めました。また中ほどには正方形に切り組みしたスペースが設けられ、ここから下に発電機を収納しています。
 この屋台の特徴としては、岸和田など関西のだんじりの様式を取り入れて台車に本体を登載する形を、風早の屋台製作史上初めて採っている点です。ちなみに、この台車また本体の泥除け部分は総ケヤキ作りです。こうした台車を用いることにより、車高が低くなり人を巻き込むことも、タイヤで足をしゃぐ(伊予弁:踏みつける)こともありません。そうした安全対策上の配慮とともに外見も威風堂々とした物に引き立たせる効果が出ています。台車、前後正面には「はなかん端閂」と呼ばれるこれまた岸和田風のワッカが見えます。これはロープを掛けて引く時にも便利です。これも風早の屋台で初めての採用になります。
 一方でこれからの屋台は、風早にあっても彫刻、彫金の時代になるとの思いは、屋台関係者ならどなたも、うなずかれるところではないでしょうか。したがって、これだけの側面の長さを活かそうと思ったときに、側面に4つ毎、正面に2つ毎で合計12個の空間が取れることに棟梁は着目しました。それで12支・(干支)の彫り物を思いつかれたのです。前・正面向って左から「ね、うし、とら、と‥順に巡り」最後のいのしし亥がまた前正面右に陣取っています。
 十二支は通常生まれ年を当てはめますけど、他方で、12ヶ月の1年をも表す「時の単位」ですから、正月から大晦日までのときの移ろいの中で、また新たな歳を重ね新年を迎える、この無限のサイクルを表現したのは見事と言わざるを得ません。
 また別の観点から言えば、干支の彫刻は既に縁起開運の象徴として全国の名だたる神社仏閣に採用されています。例えば徳川家康公を祀る日光東照宮本殿には家康公の生まれ年にちなみ、寅の彫刻が、また二代将軍秀忠公ゆかりの同社唐門には、彼の生まれ年、うさぎの彫刻で飾られています。中西外区住民上げての悲願で成ったこの屋台には、当然特定の飾りを用いず、すべての住民の幸せと末長い中西外区の発展を祈念して、十二支の彫刻を採用しました。冒頭紹介しましたが、これら施工に当たったのは、讃岐豊浜ちょうさ太鼓台などの彫刻を多数手がけてこられた、まんのう町 上野彫刻所の上野俊之さんの手によるものです。飾り金具の彫金とあわせて今回ご奉仕いただきました。上野さんは香川県伝統工芸認定士でもあられます。
 また黒と朱の上品な光沢を放つ本漆塗りを手がけてくださったのは高松市多賀町の株式会社 上田漆器工業所 代表の上田壽一さんです。
 皆さん、ひときわ鮮やかな高欄部分をご覧下さい。従来の伝統的な擬宝殊高欄は前後正面に鳥居のように左右一対に立ててこれを残し、新たに4隅は愛媛県西条市の屋台風に蕨手刎高欄を採用しました。これも風早の屋台では初めてのことです。
 その上の四本棒、従来の規格では私ども子供の頃から「4本棒」と呼んでいましたけど、この1.8メートルの規模になるとまさしく「四本柱と呼ぶべきかも、わかりません。そこには燦然と輝く昇り竜を這わせ天を衝いています。 さらに四本柱の本体への差込口をご覧ください。これまでの屋台は全て「四角形」で施工されていましたが、畏くも天皇陛下が即位の大礼で玉座となされた京都御所「高御座」の形式を取り入れ「八角形」にして、その強度を高めると共に、この空間の神聖さをかもし出すことに意を用いています。 そしてそれを受ける、いわゆる笠木も重厚なつくりで、こうなると讃岐ちょうさ太鼓台のようにまさしく(雲板・雲天井と呼ぶにふさわしいしろもの代物となっています。
 垂木部分を広く取り、仰いで見るとお分かりのように群雲を彫刻していますね。四本柱の昇り竜が天を目指して、その行き着く先には高天原に瑞雲たなびき、稲光と共に恵みの雨をもたらしてくれるよう、神への祈りが、そこに現れているようです。一連の物語が屋台に込められるといえるでしょう。
 その他、笠木の周囲にも、唐草模様を掘り込み、4隅と側面センターには木鼻として阿吽の狛犬が守護しているのも他の屋台に無い神社建築の技法を採用しています。
 風早の屋台は神輿ができる奈良時代以前に、その原型をさかのぼるとされ、私たちの先祖は古来よりこの赤いお絹で囲われた神聖な空間に、そこかしこの氏子町会区の神々を祀って、この風早宮大氏神のお宮出しや、お宮入りに屋台を参集してきた歴史があります。当区の屋台には言わずと知れた京都・松尾大社から勧請した大神が大きな提灯に宿られて鎮座されているのです。
 今回の新調に当たっても天井・随所に神使いの獅子を配置して邪気を祓い、神が宿る聖なる空間として、威儀高らしめるように匠たちの意匠を、うかがい知ることができます。

町区名中西外
祭礼称号松尾
祭礼奉仕青壮年団体名中西外区秋祭り実行委員会
屋台新調年平成21年(2009年)
棟梁名有限会社 菅建設 代表者 菅博
大提灯文字名松尾
所属・奉仕神社國津比古命神社
櫛玉比賣命神社
松尾神社
屋台正面
提灯
法被(表)
法被(裏)
D. 中西内区 瑞穂(ナカニシウチク ミズホ)

 私たち中西内区は、約130世帯からなる地域の絆が深い地区です。そのほとんどが農家で農繁期には互いに助け合いながら田植えや収穫作業に励む、古き良き時代の面影を残すのどかな地域です。春にはお釈迦様の誕生日を祝う灌仏会(かんぶつえ)、夏には盆踊りや新田神社祭礼の演芸大会、秋は秋祭りに亥の子、冬は三世代交流会での餅つきや注連縄作りなど一年間を通じて愛護班や瑞穂会、部落地区役員が連携し世代を超えた交流で絆を深めている懐かしさの残る地域です。
 「瑞穂とはみずみずしく実った稲穂のことで、古くは古事記に豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)の記述があるように日本国の美称であります。現在の大屋台は平成15年建立で材木の切り出しから、かき棒の削りまで自分たちで行い、棟梁も地区内の職人が務めた完全な手作りの屋台です。四本棒と四枠は黒、欄干は朱の漆塗りで、四方に白房をあしらった絢爛豪華なたたずまいは、私たちの宝であり自慢でもあります。金具を一切使わず、ロープ一本でかき棒を取り付ける技術はいつまでも伝えていきたい伝統です。
 今後もさまざまな場面で他地区との連携を図り、地域の活性化のために尽力していきたいと思います。

町区名中西内
祭礼称号瑞穂
祭礼奉仕青壮年団体名中西瑞穂会
屋台新調年平成15年(2003年)
棟梁名渡部宣弘
大提灯文字名瑞穂
所属・奉仕神社國津比古命神社
櫛玉比賣命神社
鎮守神社
屋台正面
屋台側面
屋台斜面
提灯(表)
提灯(裏)
法被(表)
法被(裏)